ブルガリア横断

【珍道中】長距離列車でブルガリアの古都へ #4

こんにちは!

Kazumaです!!!

#3の記事は読んでいただけたでしょうか?

【トラブル続編】ソフィアの宿泊施設と観光 #320歳の大学生が初めて海外旅行で訪れたブルガリアを横断しました。ブルガリア人の友だちと夏休みの1ヶ月間をブルガリアを大冒険しました。ソフィアの物価、食事、治安、交通、観光、宿泊など気になる情報をまとめました。...

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9月に『重大発表』があります。お楽しみ!!!

こちらの記事では、ソフィアから古都への行き方について説明していきます。

Contents

ブルガリアの歴史

これまでのブルガリアの記事でブルガリアと首都ソフィアの情報をお伝えしました。ここではブルガリアの歴史を学んでから古都ヴェリコタルノヴォについて知っていきましょう。重要な出来事がたくさんありますが、主要なところを抑えてもらえたらと思います。

前5000年代

世界最古の黄金文明(ヴァルナ文化)

1972年にヴァルナ遺跡が発掘されました。ヴァルナはブルガリア東部の黒海沿岸の都市です。その発掘されたものを調べたら世界最古の金工芸品とわかりました。4大文明(メソポタミヤ、インダス、エジプト、中国)と同じくらいにあったと言われています。

500年~700年代

第1次ブルガリア帝国

ブルガール人が、アスパルフ=ハンに率いられたビザンツ帝国領のドナウ川南岸のバルカン半島北東部に侵入し、その地スラヴ系住民とビザンツ軍を破りました。681年にビザンツ皇帝と和平条約を締結して、建国しました。都はプリスカにおかれ、後にプレスラフに遷都しました。キリスト教(ギリシア正教)を取り入れ、スラブ語を公用語としました。そしてキリル文字が作られました。

1185年

第2次ブルガリア帝国

都をタルノヴォ(ヴェリコタルノヴォ)にしました。1187年ビザンツ帝国の衰えに乗じて第1次ブルガリア帝国が復興しました。しかし、1237年にモンゴル帝国のロシア侵攻が始まりました。第2次ブルガリア王国もモンゴル軍に侵攻され、その勢力が衰え始めました。

1396年

オスマン帝国の支配下

オスマン帝国が、アナトリアからバルカン半島に進出してきました。ブルガリとオスマン帝国の戦いは、セルビア王国軍とともに戦った1389年のコソヴォの戦い、1396年のニコポリスの戦いと次第に攻め込まれオスマン帝国の支配下になりました。ここから長くオスマン帝国に支配されます。

1877-78年

露土戦争

ロシアとオスマン帝国が戦った戦争のことです。オスマン帝国に支配されたスラヴ系の人々が反乱を起こしました。そこにロシアが介入し、ロシアとスラヴ系の人々が勝利しました。戦争後にサン・ステファノ条約により、スラヴ諸国がオスマン帝国から独立をしました。この国の一つが第3次ブルガリア帝国です。このとき、首都がソフィアになりました。

1912年

バルカン戦争

ロシアとバルカン同盟を結びました。第1次バルカン戦争でオスマン帝国との戦い勝利してその領土を拡大させした。しかし、ブルガリアはさらにマケドニアへの侵攻を始め、セルビア・ギリシアと対立が起こりました。ブルガリアの領土拡大に反発した他のバルカン諸国とオスマン帝国は、セルビア・ギリシアの支援をしました。1913年に第2次バルカン戦争が始まりました。ブルガリアは孤立し、敗北してしまいました。ブカレスト講和条約で、ブルガリアはエデルネと東トラキアの一部をオスマン帝国に、南ドブルジャをルーマニアに割譲して領土を失いました。マケドニアはセルビアとギリシアで分割されることになりました。

1915-18年

第1次世界大戦

同盟国側として参戦したブルガリアは、隣国のセルビアに侵攻しました。セルビアの首都ベオグラードを占領し、セルビア政府をアドリア海のコルフ島に追い詰めました。しかし、ギリシアのサロニカに上陸したイギリスとフランスの連合軍がバルカンを北上して攻め込まらました。1918年9月にイギリスとフランスの連合軍とセルビア軍が、ブルガリア軍に壊滅的打撃を与えました。そして、ブルガリア政府、9月30日に停戦合意をしました。ブルガリアは敗戦国となりました。ヌイイ条約に合意し、多額の賠償金と獲得した領土を大幅減少させることになりました。

1941年

第2次世界大戦

日独伊三国同盟に加わり、枢軸国の一つとした参戦しました。ドイツ軍をブルガリア国内に入れ、ドイツに協力して2万人のユダヤ人の追放を約束しました。しかし、それに対して労働者党(共産党)を中心とするパルチザン闘争(外国の侵略に抵抗する非正規の軍隊のこと。)がありました。

1944年

ソ連がブルガリアに宣戦布告

1943年ドイツを訪問していた国王ボリス3世が急死してしまいました。そこで6歳の息子シメオン2世が国王がブルガリア最後の国王になりました。ブルガリアは、同じスラヴ諸国を信頼していましたが、ソ連に宣戦布告されました。一気に攻め込まれ、ブルガリア軍は何もできない状態で降伏となりました。そしてクーデターが起こり、政権交代となりました。枢軸国として参戦していましたが、対ドイツの連合国として参戦するようになりました。

1946年

大戦後、王政廃止となりブルガリア人民共和国ソ連の衛星国になる

国民投票により、ブルガリアの王政は廃止され、シメオン2世はエジプトへ亡命しました。そして、社会主義のブルガリア人民共和国となりました。1955年に、ワルシャワ条約機構に加わり、ソ連の衛星国の一つとなりました。

1990年

ブルガリア共和国

歴史的に大きなできごと、1989年ベルリンの壁崩壊がありました。それにともなって、東ヨーロッパの国々が民主化していきました。ブルガリアも民主化して現在のブルガリア共和国になり、社会主義の国ではなくなりました。1991年にソ連が崩壊し、ロシア連邦になりました。

2007年

EU(ヨーロッパ連合)に加盟

ブルガリアとルーマニアがEUに加盟しました。その目的は、国間の経済・通貨の統合、共通外交・安全保障政策の実施、欧州市民権の導入、司法・内務協力の発展等がです。しかし、ブルガリアは、経済が豊かではなく、共通通貨のユーロが使えません。もしユーロを使ったら全国民の所持金が半分になってしまいます。およそ1ユーロ=2レヴァと言われています。少しずつブルガリアの経済は良くなってきていますが、それでも生活が豊とは言えません。

簡単に書きましたが、自分で調べてみて初めて知ったこともたくさんありました。たくさん情報量があると思いますが、ここで抑えてもらいたのは、”1185年、第2次ブルガリア帝国のところです。日本史だと平安時代や鎌倉時代にあたるところです。当時の建物がヴェリコタルノヴォには残っています。

ソフィアから古都ヴェリコタルノヴォの行き方

首都のソフィアからヴェリコタルノヴォに行く方法は、長距離列車と長距離バスの2つです。私はどちらも使ったことがあります。

目的地のヴェリコタルノヴォは、ブルガリアの北東部にあります。ソフィアからは300kmぐらい離れています。

結論から述べると、長距離バスがおすすめです。その理由をレビューしていきますね。最後に5段階で評価とコメントつけます。

ブルガリアの長距離列車『国鉄』

ブルガリアの長距離列車は、”国鉄”と呼ばれいます。ソフィアを中心に各都市をつなげています。

ソフィアの中心地にあるSofia Central Stationから列車に乗れます。チケットもここで買えます。Tonyが全て手配してくれたので値段を忘れました。チケットカウンターがあるのでそこで行き先を伝えれば大丈夫です。ちゃんと記録を取っておいたらよかったと後悔してますwww

宿からタクシーでビタづけしましょうタクシーの運転手さんに”Sofia Central Station”と伝えれば連れて行ってくれます。大きな荷物を持っているとものごいやホームレスが寄ってきますし、トラブルの元です。身の回りに注意してくださいね。

もうこのときに、ものごいには慣れていたので”無視の一択”です。

チケットを買ったらホームに行き、列車に乗り込みます。”どの列車に乗ればいいのかわからない”どの列車も同じようにしか見えない。

いや、”駅の治安悪すぎ!!!”

ホームにも”ものごい”いるじゃんwww

当時はスマホやカメラ出す余裕なんてないwww

駅の写真撮りたかったー。ホームは日本と違い、列車に階段がついているのでそれをよじ登る感じです。インドの列車を見たことある人はわかると思いますが、そんな感じです。列車の高さが基準になっていると思ってください。しっかりドアも窓もついていました、全て手動ですがwww

ヴェリコタルノヴォまでの珍道中エピソード

まず、列車がめちゃくちゃ遅れます。

電車はボロボロです、、、アンティークと呼びましょう。ちゃんと走ります。

当たり前です。遅れないことがない!何時間遅れかなんてわからないwww

座席はボックス席なのでみんなで向かい合って座ります。近くの席に座った人とは、めちゃくちゃ話すので、すぐに仲良くなれます。ここが日本と違うところです。電車の中で静かにする文化がありません。持ち込んだ食べ物をシェアしたりしましたwww

こんな感じで名前も知らないおっちゃんとおばちゃんと写真を撮りました。この二人は夫婦じゃないです。たまたま同じボックスになっただけです。彼らに”ям(ヤム)”英語でeat食べると”пийте(ピーテ)”英語でdrink飲むというブルガリア語を教えてもらいました。ブルガリア語だけで初めて会話しました。Tonyがおっちゃんとおばちゃんの言葉を通訳してくれました。彼らは英語が話せません。ロシア語が少しわかるみたいなことを言っていました。とにかく明るくてずっとおしゃべりしている人たちでした。

途中で乗り換えなければなりませんでしたが、わけわからないので全てTonyに任せています。アナウンスがブルガリア語でされているのか、それともなんとなく景色だけでわかっているのか謎しかありません。でもちゃんと目的地のヴェリコタルノヴォにつきました。

窓からの景色は最高です。ずっと大自然です。空気が美味いです。この景色が何時間も続くので完全に現実逃避できます。(日本での生活が嫌なことだらけwww)好きなことして好きなことだけ考えていればいいので心が休まります。

ブルガリア国鉄に乗るときに注意すること!貴重品は絶対に身につける、ボックスシートから極力離れない、トイレは超汚い(紙なかったかも)、酔っ払ってるヤツには近づくな(コイツやべーなってヤツがたまにいます)、居眠りしない(貴重品スラれたり、荷物置き引きされたりします)

絶対に日本で体験できないことが体験できるのが『ブルガリアの国鉄』です。日本人が珍しすぎて色んな人にボックス席に入られて話しかけられました。とっても新鮮な体験でした。めちゃくちゃ楽しかった!!

予定時間より大幅に遅れてヴェリコタルノヴォに着きました!

2〜3時間は遅れたかな?

まとめ

ブルガリア国鉄の物価・治安・交通について5段階(最高5、最低1)で評価とコメントつけていきます。

物価 4

物価は本当に安い!いくらか値段は忘れたけど、ヨーロッパと思えないぐらいの価格で移動することができます。交通費の安さには驚きました。日本もこれぐらい安かったらいいのにと思います。

治安 2

悪いです。日本が良すぎるだけですが、スリ、置き引き、ひったくり、強盗、詐欺、ぼったくりの犯罪は当たり前です。貴重品は身につける、極力ボックス席から離れない、居眠りをしないなど、スキは与えてはいけません。変な人には絶対に近づいてはいけません。しかし、良い人もいます。しっかり見極めて積極的にコミュニケーションをとってみてください。きっといい出会いになります。初めての人には刺激が強すぎるかもしれませんね。

交通 2

遅れすぎですwww事故があったのかと思うぐらい遅れます。表記もブルガリア語しかないので、読めない人には大変だと思います。乗り換えの駅もよくわかりません。地元の人からしたらフツーなんだと思います。せめても電光掲示板が欲しいです。あったら乗り換えらるかもしれません。一度乗ったらクセになるので、また乗りたいって思ってしまいます。自ら危険に飛び込んでいくやつなんでwww

半日は移動で終わりましたが最高の思い出です。次の記事はブルガリアの古都ヴェリコタルノヴォをブルガリア人と観光します。

#5に続く

お楽しみ!!!

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